文章の仕事をしていると、学生時代の授業内容に疑問を抱かずにはいられない

義務教育である小学校や中学校で、文章の書き方を習うことはない。

大学入試に小論文というのがあるのに、文章の基礎を習うはずの小学校や中学校では、

「文章はそもそもこう書いていくんですよ」

という授業がなかったように思う。

 

社会に出たら必ず文章が必要になる場面が出てくるし、就職試験に必要になる場合もある。

誰もがみんな大きな企業に入社して担当の仕事だけしていればいいといわけではないので、中小企業や自分で会社営んだり、私のようにフリーランスになると

顧客や社員へのお知らせや通達文、お客様への謝罪文など、なんだかんだと文章を書く必要に迫られる場面がある。

プレゼンしないといけない人だと、伝わる文章や伝えたいキーワードなどを一生懸命考える場面があるだろう。

なのに、日本では文章の基礎は習わず

「おじいさんはこのとき、どんな気持ちでしたか」

とか、

「この文字は何画ですか」

とかばっかり習う。

 

学校の勉強はすっごく大事だけど、おじいさんの心情を答えられたところで会社の人間関係で揉めないわけではないし、画数を知っていることに越したことはないけれど画数知らなくても字は書けるし、

それよりも、文章を書くときはこう書くんですよっていうのを授業に取り入れたほうがいいんじゃないかなと思う。

サインコサインタンジェントを習ったけど、数学の道に進む人でないと使わないもの。

でも文章は、数学の道に進んだ人でも使うかもしれないし、そうでない人も使うかもしれないし。

 

文章だけじゃない。

漢文も古典も、正直あんなにがっつり学ばんでもええだろ。さわりだけ学んで、あとは文章や歴史を学びながら興味があれば自力で学べばいい。大学とかで。

図工の授業でラジオをつくたけど、ラジオを作るよりもテレビの配線やパソコンをつなぐ授業のほうがのちに活かせると思う。ラジオを作って得られる楽しみや興味は、自分でつないだパソコンがついた時の楽しみと変わらないと思うもの。

美術の授業で教科書で絵をたくさん見たけれど、「〇〇の絵です」ていわれても「ふ〜ん」しか言いようない人が大半だもの。美術室の座りにくい椅子に座って1時間授業をするより、すぐ近くにある市内や県内にある博物館や美術館に足を運ぶ授業の方がよっぽど感性が磨かれるはず。

英語なんてもう何年も前から言われているよね。こんなに必死になって勉強しているのに、「英語」の授業で英語が話せるようになる人なんてほぼいないし、なんなら英語の先生の英語を外国人講師が「?」て顔しているのを何度も見た。英語は全て、ライティングやヒアリングとったものからトーキングにすればいい。

 

国の偉いさん方も教育関係の人も、すごいお金をかけてすごい一生懸命教科書を作って指導内容を考えて日本の教育のことを考えているはずなのに

大人になって、あれだけ勉強したはずなのに基本的な常識がなかったり、日本語を使った文章という日本人ができて当たり前なことができなかったりというのは大問題だと思うんだ。

 

という、愚痴。